待てば甘露の日和あり

文系腐女子の考察と妄想。 ※一部コンテンツは他サイトにもマルチ投稿。

真理探求

異類婚の末に生まれた子供が、特別な存在とされる点は、神武天皇も、『南総里見八犬伝』八犬士も、現代作品のキャラクターも共通しています。
しかし、神武は現人神とされた天皇ですし、八犬士は英雄的です。
それに対して、現代のキャラクター達は化け物扱いです。

異類を神と見なした古代。異類を畜生や化け物と見なす現代。ジェネレーションギャップですね。

現代作品での異類との関係は、非常に多様化しています。

古代や中世の異類婚には見られない要素の一つが、ロボットです。
ですが、ロボットとの結婚の話は、あまり見かけません。
勿論、存在しないわけではありませんが、ロボットとの恋愛、または結婚は、物語の中でもマイナスイメージで語られがちです。
ロボットは生命体ではないため、例えファンタジーな世界観であっても、子供を作れないためでしょうか。


現代の多くの作品で、異類は化け物と見なされますし、ロボット婚は認められません。
異類婚の物語も、有名な作品は、『火の鳥』、『犬夜叉』、『おおかみこどもの雨と雪』くらいのものでしょう。
それは異類婚が、普通ではない、異常であるために、マイナスイメージを抱かれやすく、一般に受け入れられることが難しいからだと考えられます。


ただし、昨今のファンタジー作品には、異類、人外とのラブストーリーも多く見られます。
欧米から輸入した吸血鬼やエルフなども人気ですが、日本的な鬼や妖怪、神もよくモチーフとされます。
恐らく、人間でないモノとの背徳的な恋が最近の若者に受けているのでしょう。
「オオクニヌシもらえる!」


結婚まで進展するケースが少ないのは、現代人の恋愛観・結婚観の変化のためとも考えられます。


3つの要素を、古今の異類婚姻譚から抽出します。
1つめ。どの時代の物語も、異類婚をした夫婦は死んだり別れたりします。そして、その子供は孤独や不安に悩むことになるケースが多く、円満な家族関係であるケースは見られません。
2つめ。どの時代の物語も、異類婚によって生まれた子供達については、冒険したり、明るい未来を感じさせたりすることが多いようです。
3つめ。古代や中世の物語では、異類婚の末に生まれたハーフの子供は、神聖なものとされ、プラスイメージです。一方、現代の作品では、異類婚の末に生まれたハーフの子供は、差別され、迫害されることが多く、マイナスイメージを持ちます。



以下、参考作品を偏見・感想混じりでネタバレ要約


『火の鳥』手塚治虫
人間女性が主人公。
人間男性と宇宙に駆け落ちし、子と子作りしたり、女王になったりする話。
ヒロインの息子とムーピー(不定形で変身能力を持つ宇宙生物)が結婚、子作り。
ムーピーは人間女性(ヒロイン)に擬態。
女が少ないため、混血でも歓迎。
人間とムーピーの混血種が国を作るほど増える。
混血種の外見は人間に近いが、角や特殊能力があり、目が見えない。ムーピー寄り?
ヒロインの息子とムーピーのカップルは、ハッピーエンドと言える。
物語としては、どちらかと言えばバッドエンド。

『火の鳥』手塚治虫
サイボーグ化した人間男性が主人公。
人間男性とロボットの悲恋の話。
世間には受け入れられない。
主人公には人間は人間に見えず、ヒロイン(ロボット)が美女に見える。
最後は精神的に合体し、人の心を持つロボット、ロボタになる。
物語としてはバッドエンド寄り。
カップルとしては、主観的にはハッピーエンド?客観的にはバッドエンド。


『おおかみこどもの雨と雪』細川守
人間女性が主人公。
狼男との恋と子供の自立の話。
狼男(こども)は一般に知られていないため、人目を気にする。
狼男は第二子出生後に死亡し、遺体はゴミとして処理された。
子供は父と同じく人間・狼に変身可能。
子供は狼か人間か将来を選択可能。姉は人間、弟は狼になる。
物語としてはハッピーエンドでもバッドエンドでもないが、
カップルとしてはバッドエンド?


『犬夜叉』高橋留美子
雄の犬妖怪(人型に変身可能)と人間女性の子、半妖が主人公。
恋、バトルなどを通し主人公が精神的にも成熟していく話。
主人公の両親は物語開始前に死亡済。
子供(主人公)は、人間に近い容姿だが犬耳、鋭い爪と牙、妖力あり。新月の夜のみ完全な人間になる。
子供(主人公)は半妖で、妖怪にも人間にもなれない。
妖怪は人間に恐れられ、半妖は人間、妖怪どちらからも差別される。
物語としてはハッピーエンド。
主人公両親はカップルとしてバッドエンドともハッピーエンドとも言えない。
主人公(半妖)とヒロイン(人間)は結婚し、カップルとしてもハッピーエンド。


『境界のRINNE』高橋留美子
死神のクォーターの少年が主人公。
主人公と人間の少女とのラブコメや敵とのバトルの話。
主人公の祖母が死神で、人間男性(主人公の祖父)と結婚。
物語開始前に、主人公の祖父は寿命により死亡。
孫(主人公)は人間界に住み、人間寄りだが、死神業務を行う。人間か死神か選べる。
死神は普通の人間には見えず、存在を知られていない。
物語は未完(連載中)。
主人公の祖父母カップルはハッピーエンド。


『ドラゴンボール』鳥山明
地球育ちの宇宙人が主人公。
ギャグ、バトルの話。
主人公は人間と結婚、子作り。
宇宙人の容姿は人間に近いが、変身能力などがある。
子供は宇宙人寄りで、選べない。
主人公は死んだりするが、主人公カップルはハッピーエンド?バッドエンドではない。


『しゃばけ』
妖怪のクォーターの少年が主人公。
江戸時代が舞台で、主人公が妖怪の力を借りながら事件を解決したりする話。
妖怪は普通の人間には見えない。
主人公の祖父は死亡済、祖母は神に弟子入り。
主人公は霊視しかできず、身体が弱い。人間寄り。
主人公の祖父母カップルはハッピーエンド。

『マ(今日からマ王!)』喬林知
地球産魔族と人間の子が主人公。
主人公が異世界で魔王になる話。
異世界では人間と魔族は敵対している。
主人公は魔力が作中トップクラスの強さ。異世界では強力な魔族しか持たない黒目黒髪で、異世界の価値観では美少年。
異世界の高等魔族は、美貌と魔力を持つ。
地球産魔族は、通常はほとんど人間と変わらない。
魔族と人間の子は、寿命は魔族並に長いが、通常は魔力を持たない。
主人公の側近(人間と前魔王の子)は魔力を持たず、容姿も人間。
主人公の両親は健在。
主人公の側近の父は寿命で死亡、母(前魔王)は健在。
どちらのカップルもハッピーエンド。


『ちょびっツ』CLAMP
人間男性が主人公。
主人公と人型ロボットとの恋の話。
ロボットとの疑似恋愛は珍しくないが、結婚式を挙げると奇異の目で見られる。婚姻はできない。
ロボットの外見は極めて人間に近い。
脇役人間男性の前妻がロボットで、挙式もした。そのロボットは脇役を庇って交通事故で故障。葬式も行った。その脇役は後に人間女性と恋仲になる。
主人公とヒロイン(人型ロボット)は、そのロボットのリセットボタンの位置の関係で、性交ができない。
物語はハッピーエンド。
脇役と前妻カップルとしてはバッドエンド。


『ヴァンパイア十字界』作・平城京、画・木村有里
純血吸血鬼の男が主人公。
主人公の前妻(人間)とその間の子の魂を利用して作られた宿敵と闘ったり、宇宙人から地球を守ったりする話。
現代では吸血鬼は想像上の存在だと、一般人には思われている。
吸血鬼は一万年以上の寿命と、高い能力を持つ。羽があるが、出し入れ可能。日光が苦手。
人間と子を作ることができるが、混血吸血鬼は純血吸血鬼に劣る。
現代では純血吸血鬼は主人公とその後妻しか存在しない。
主人公の前妻は、人間にとって脅威である主人公を殺すために殺された。
地球の平和は守られたため、物語としてはハッピーエンド。
主人公と前妻カップルとしてはバッドエンド。
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前回は蛇婿の話でしたので、今回は女の蛇、蛇の嫁の話をするとしましょう。

女の場合は、来訪するのは人間の男の方であったりします。通い婚(夜這い)文化ですね。
結婚や婚約をしたものの、出産の時などに本性を見られ離別します。異類女房は自主的に退去する傾向にあります。

民俗学者阿部真司氏によると、蛇の嫁の話には、次のようなパーツが組み込まれているそうです。もちろん、話によって、ない部分や補足された部分もありますが。

1、愛情(結婚)
2、約束の破棄、禁忌の侵犯  代表例は「見るなのタブー」です。
3、恥、うらみ、しんい……怒り、憤怒
4、男の逃走
5、女の追跡
6、復讐
7、分離

これに基づき、5つの例を紹介します。


1つめ、『古事記』上巻の伊耶那美(イザナミのみこと)、またの名を黄泉津大神(ヨモツオオカミ)です。伊耶那岐(イザナギのみこと)との聖なる結婚、そして国生み、神生みを成した女神です。しかし火の神である迦具土(カグツチ)を出産したため、女陰(ホト)が焼け死んでしまいます。
イザナギは、愛する妻を黄泉国へ迎えに行きます。イザナミは見るなのタブーをイザナギに与えますが、タブーは破られるものですから、当然イザナミの姿を見てしまいます。すると、イザナミの姿は醜く腐っており、八つの雷神がその身にまとわりついていました。恐ろしい姿に伊耶那岐は逃走します。恥をかかされた伊耶那美は、配下の予母都志許売(ヨモツシコメ)や雷神など軍勢に伊耶那岐を追いかけさせ、最後は自分自身も追いかけます。なんとかイザナギは逃げ切り、黄泉の国との境に大きな石を置き、難を逃れます。これで離婚宣言、「事戸度し(コトドワタシ)」です。
イザナミは、1日に千人の人間を殺す呪いを掛けます。それに対して、イザナギは1500人の子供が生まれるようにします。人の生死の由来譚です。こう考えると、現在はイザナミ優勢ですね。
イザナミが蛇神という確かな証拠はありませんが、雷が身体に巻き付いていたり、死の支配者であったりすることから、なんらかの関係があるように思われます。



2つめは、同じく『古事記』上巻から豊玉姫(トヨタマビメ)です。アメニギシクニニギシアマツヒコヒコニニギの命―略してニニギ―の子の火遠理(ホヲリ)の命が海神(ワタツミ)国へ訪問し、トヨタマビメはホヲリと結婚します。そしてホヲリについて葦原中国へ行き、鵜草葺不合(ウガヤフキアヘズ)の命を出産します。この時、ホヲリに見るなのタブーを与えたのですが、もちろんホヲリは産屋を覗きます。すると、姫が八尋和邇(ヤヒロワニ)=大きな水辺の生き物であると判明します。正体を見られてしまった姫は、海坂(うなさか)=ワタツミの国との国境を閉じてワタツミの国へ帰ります。ただし、子供の乳母として、妹のタマヨリヒメを派遣します。この子供、ウガヤフキアエズと叔母タマヨリヒメとの間の子供が初代天皇神武天皇です。ナチュラルに近親姦・近親婚。
なお、ワニは蛇ではないのではないか、とのご指摘もありそうですが、ヤヒロワニの正体はよく分かっておらず、そのままアリゲーター、蛇、鮫など諸説ありますので、とりあえず蛇っぽいものだと仮定します。ちなみに、『日本書紀』では龍とされています。




3つめは、『古事記』中巻、第11代天皇垂仁(すいにん)天皇の段の、肥長毘売(ヒナガヒメ)を説明します。出雲で第11代垂仁天皇の皇子本牟智和気(ホムチワケ)と共寝=同衾します。しかし肥長毘売の蛇の姿を見てしまったホムチワケは逃げます。怒った姫は海を照らし船で追いかけます。
「海を照らす」という表現は大物主の登場シーンの描写と似ています。海蛇に着想を得たのではないか、という説もあります。



4つめに、道成寺伝承、清姫伝説について説明します。ニコニコあなたの隣に這い寄るFateきよひーでお馴染み。
この伝説は謡曲や能など様々な物語のバージョンが存在していて、女の蛇としては、おそらく日本で最も有名な話です。今回は『今昔物語集』巻第十四からご紹介します。
未亡人が若く美しい旅の僧侶に片思いして、強引に迫り、帰り道に必ず同衾するよう約束を取り付けます。しかし、僧は約束を破り、女の家に寄らずに帰ってしまいます。女はショックで死に、毒蛇になります。そして僧を焼き殺し、蛇の夫婦になります。そのことを夢で見た老人の僧侶が供養してくれて、二人は仏になることができました。
という仏教色の強いハッピーエンドです。



5つめは昔話の蛇女房です。男に助けられた蛇が、恩返しのために男の家に行きます。そして結婚し妊娠するのですが、出産する時に蛇であることがバレてしまいます。「鶴の恩返し」を思い出していただけると分かりやすいかと思いますが、正体のバレた異類女房は、別れなければなりません。蛇は子供の養育費として自分の片目の玉を渡します。しかし元夫が殿様に玉を取り上げられたため、蛇は残る片目も渡し、盲目になります。悪徳領主の極み。
時間も分からないので、蛇は元夫に、お寺の鐘を朝夕つくよう頼みます。



ちなみに、神武天皇は少なくとも四分の三がワタツミの国の血です。ほぼ水生生物。


天皇水生生物説

※山口佳紀、神野志隆光校注・訳『新編日本古典文学全集1 古事記』小学館、1997年、p438-439「付録(神代・歴代天皇系図)」を参照


参考資料
阿部真司『蛇神伝承論序説 清姫の原像を求めて』新泉社、1986年
稲田浩二、大島健彦、川端豊彦、福田晃、三島幸久編『日本昔話事典』弘文堂、1977年
小澤俊夫『昔話のコスモロジー ひとと動物との婚姻譚』講談社学術文庫、講談社、1994年
馬淵和夫、国東文麿、稲垣泰一校注・訳『新編日本古典文学全集35 今昔物語集1』小学館、1999年
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本日、令和元年6月7日は、旧暦の5月5日に相当します。

これは豆知識ですが、5月5日に菖蒲湯に浸かると、蛇の子を堕胎できます。
蛇神に見初められてしまった方には必須のライフハックですね。


蛇に限らないことですが、異類、動物との結婚(獣姦)には一定の話型、話の流れがあります。
まず、蛇婿は基本的に、来訪する神の系譜にあります。
大抵のケースで、蛇の婿は、人間に化けて乙女(処女)の寝所にやってきて、契ります(異種姦)。しかし乙女……だった蛇のお嫁さんやその家族に本性、蛇であることがバレてしまい、離別します。

日本の異類婚姻譚は、正体がバレると別れなければならない、悲劇的なところに特徴があります。この離別ですが、単なる離婚ではなく、禁忌を犯したお嫁さんへの罰として去っていったり、お嫁さんの母親に殺されたりします。
蛇とお嫁さんとの間の子供は堕胎されるケースが多いですが、蛇に神としての側面が強い場合、有力氏族になるなど、子孫が繁栄することもあります。

蛇婿入り伝承のメッカ、大物主(オオモノヌシ)の神の三輪山伝承について説明します。大物主の神は、スサノヲノミコトの子孫である大国主の神のニギタマ、分身だとされます。Fate的な言い方をするならアルターエゴです。大物主の神には、複数の似通った蛇婿の神話が残っています。
蛇だけに蛇足ですが、大物主の神は蛇の神として現在でも崇められており、大神(オオミワ)神社・三輪山には生卵のお供え物が絶えません。
ちなみに三輪山は登拝できます。神体山、つまり神様そのものに登ることが可能とは、心躍りますね。アウトドア慣れした方なら、簡単に山頂まで行けるはずです。ただしハイキング用コース整備がされているわけではないので、インドア派の方は要注意です(体験談)。スマホ、運動靴、水分、虫除けスプレー、それらを入れるリュックを装備してから登拝しましょう。IMG_myoxu5





『古事記』中巻、第10代天皇崇神(すじん)天皇の段に、苧環(おだまき)伝承があります。
ちなみに、オダマキとは、つむいだ麻糸を、中が空洞になるように巻いたもののことです。
活玉依比売(イクタマヨリヒメ)の元に、正体不明の美男子が夜な夜な通い、ついに姫は妊娠します。姫の両親は、姫に夫が居ることも知らなかったので、驚いて、姫に男の正体を突き止めるよう入れ知恵をします。姫は男の衣服の裾に糸を刺します。その糸をたどると美和山(三勾の山、三輪山)の社へ続いていたため、姫は男の正体が大物主だと知ります。
大物主の神とイクタマヨリヒメの子供、あるいはその子孫である意富多多泥古(オオタタネコ)は大神神社を祀る氏族の祖先であるとされており、この伝承は氏族のルーツの説明でもあります。


『古事記』中巻、初代天皇、神武(じんむ)天皇の段などに、神武天皇皇后出生譚が記載されています。
川でトイレ中の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)の元に、丹塗矢(ニヌリヤ、赤or黄色にペイントされた矢)に変身した大物主の神が突撃訪問します。姫はその矢を持ち帰り、女児を産みます。この女児、富登多多良伊須岐比売(ホトタタライススキヒメ)は後に比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)に改名し、そして神武天皇の妃になります。


『日本書紀』では事代主(コトシロヌシ)の神が八尋鰐(ヤヒロワニ)=大きな水辺の生き物に変身して川を下って、三島溝樴(ミゾクイ)姫あるいは玉櫛姫の元に訪問し、神武天皇の皇后になる媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)が生まれたとされます。


『日本書紀』巻第五、第10代崇神(スジン)天皇の段に、箸墓(ハシハカ)伝承があります。
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトビモモソヒメ)の元に、大物主の神が夜だけ通うため、姫は昼間に神の美しい姿を見たいとおねだりします。大物主の神は、姫に、自分の姿を見ても驚いてはいけないと禁忌を与えます。翌朝、櫛笥(クシゲ)=玉手箱=くしを入れる箱=化粧道具箱の中に、小さな美しい蛇がいたため、姫は驚いて大声で叫びます。恥をかかされた大物主の神は三諸(ミモロ)山へ帰ります。姫は女陰(ホト)=女性器を箸で突いて死にます。
箸墓古墳の由来譚です。箸墓古墳とは奈良県の纒向遺跡の一部の、3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳のことです。


次に、賀茂伝承、賀茂神社祖神誕生譚について説明します。賀茂玉依姫(カモタマヨリヒメのみこと)が川で禊をしている時に、丹塗矢が川上から流れてきました。姫は丹塗矢を持って帰って床に祀り、就寝したところ、なぜか妊娠しました。丹塗矢と姫の間に生まれた可茂別雷(カモワケイカヅチのおおかみ)は、成長した後、国つ神の神々を集めた宴会の席で、カモワケイカヅチの大神の父親を明らかにしたいと思う祖父の賀茂建角身(カモタケツノミのみこと)に、父に酒を飲ませるよう言われます。丹塗矢の正体は天津神の火雷(ホノイカツチ)神であったため、カモワケイカヅチの大神は、雷鳴と共に天へ昇りました。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神は賀茂別雷(カモワケイカヅチの大神)、賀茂御祖(ミオヤ)神社(通称下鴨神社)の祭神は賀茂玉依姫(カモタマヨリヒメのみこと)と賀茂建角身(カモタケツノミのみこと)です。



次は、昔話の蛇婿入りの話をします。
蛇婿入りには、大きく分けて2つのタイプがあります。

1つめは水乞い型、雨乞い型、契約型と呼ばれるものです。
まず、干上がった田に水を引いてもらうことの代償に父親が末娘を蛇へ嫁に出します。娘は針と瓢箪で蛇を殺す結末です。猿婿入りなどと共通するストーリーですね。末娘がそのまま大人しく蛇の嫁になるパターンもあります。この場合、娘の里帰りが起承転結の転や結に当たります。
ムケガラ節供(ムケの朔日)の由来とされることや、娘が蛇になっているパターンもあります。ムケガラ節句とは、正月の折り返し地点の節句で、若返ると言われています。ギルガメシュ叙事詩にもあるように、蛇の脱皮は不死の象徴です。



2つめは苧環型です。オダマキは分かりにくいので、最近は針糸型という言い方もします。

夜ごと娘のもとに通ってくる男の正体を確かめるため、母親が糸を付けた針を男の衣服に刺します。翌朝、その糸をたどっていくと、洞穴あるいは池にたどり着き、男が蛇であると突き止めます。通っていた男、つまり蛇は針で死にます。3月3日の桃酒、5月5日の菖蒲酒、9月9日の菊酒、あるいは5月5日に菖蒲湯に入ることで蛇の子を堕胎できると蛇たちの会話から知った娘の親は、蛇の子を身籠っていた娘に実行させます。
節供の由来譚です。

針糸型では、子が大成するパターンもあります。

『平家物語』に登場する熊本の緒方三郎出生譚は「平家苧環型」と呼ばれます。緒方三郎は義経の仲間の武将です。
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禁断の果実を食べた罰として、アダムとイヴは楽園を追放されました。さらに、アダムは食べ物を確保するための苦しみを、イヴは産みの苦しみを課されることとなります。

ところで、男女同権の昨今。女性でも食い扶持を稼ぐ必要があります。

さらに、出産が苦しいのは、まあ仕方ないとして。
出産前後や、日頃の月経も苦しいのはどうなんでしょうね。

神は死んだ。
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イデア論。

完全な円は描けないが、人間は円を概念的に理解できます。これは円のイデアがイデア界に存在しているからである、とプラトンは主張しました。

この論はプラトンの弟子アリストテレスに夢物語だとコテンパンに論破されるのですが、しかし後世に残る価値のある考え方です。

 

アニメの作画崩壊を指摘する時、我々の脳内には正しいアニメキャラの姿が存在します。

 

しかし、当方は一度も理想通りのアニメキャラを見たことがない気がします。

腕の向きが不自然、顔のパーツ配置に違和感がある、カラーリングがなんとなく違う。全体的に素晴らしい出来だけれど、解釈が異なる。

そのような思いを抱くことがままあります。

 

これは、我々あるいは各々の脳内に、そのアニメキャラのイデアが存在している証左です。

 

とは言えイデア界の存在まで肯定するわけには参りません。

 

ファンアートでは、時折、絵師の個性が溢れ過ぎているものを目にします。

それは絵師の手癖や画力により引き起こされることもあります。

しかしながら、見えているものがそもそも違う場合もあるのです。

さらに言えば、それは視力や観察力の問題ではありません。

そのアニメキャラのイデアが各人により異なるために発生すると、当方は考えます。

 

少なくともオタクの脳内には、イデアが存在します。しかしイデアを共有できていない以上、イデア界は存在しません。

 

オタク的イデアとは、妄想フィルターを介した末の、自分にとっての理想の姿。

当アニメキャラや原作者・アニメスタッフにしてみれば、「お前のイメージを押し付けるな!」としか言いようのないイデアもどきでありましょう。



腐女子ならばなおさら、オタク的イデアと原作の間で悩むことでしょう。


「あむぴはハイスクール生に見えるくらい可愛い童顔」

そんな共同幻想があります。

しかし原作及び青山先生のコメントから読み取れる、安室さんの外見的特徴は、高身長・優男・イケメン・色黒くらいです。ジンの兄貴や赤井しゃんに比べたら垂れ目なのは確実ですが、ベビーフェイスとまでは断定できません


難儀なことです。


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